ライブ、血が騒ぐ
血が騒ぐ。
まさに、この言葉がぴったりくるような瞬間の連続だった。
PENTATONIXは、僕にとって特別なグループのひとつ。
大学からアカペラをはじめて、いろいろな曲に挑戦したり、ネットにアップされているアカペラの演奏動画を見たりする中で、たまたま彼らの動画にいきあたった。
たしか、Lady GagaのTelephoneをカバーした動画だったと思う。
イントロがはじまってから歌い終わるまで、僕はずっと画面に釘付けだった。
きっと終始ニヤニヤしていたし、体は知らぬ間に動いていた。
ひとり暮らしの部屋は、いつしか広めのライブハウスとなり、僕は観客として、たしかにそこに立っていた。
なぜそこまで引き込まれたのか、自分でもよくわからない。
パソコンの前で目頭を熱くするなんてことは、それまでにはありえないことだった。
今日のライブでは、久しぶりにその感覚を味わったような気がする。
無条件にリズムを刻む体、飛び出す声、じわじわと上がっていく頰。
鼓動は高鳴り、視界は舞台上の彼らだけを捉えようと、広がったり狭まったりする。
ちゃんとは覚えていないけれど、そんな感覚。
懐かしさと、生の新鮮さと。
それらが混ざり合って、僕の中で渦巻き、血が沸き立つように騒いだ。
とにかく最高の気分だった。
耳で聴くんじゃなく、頭で解釈するでもなく、からだで感じる。
PENTATONIXの演奏は、僕にとってまさにそんな感じだ。
もちろんその裏には、たくさんの計算や配慮や、努力や欲なんかも存在していて、そういったものたちに支えられながら、あのグループは、あのステージは、そこにあるはず。
そういうものごとの全てをひっくるめて、からだで感じる。
きれいなだけじゃない、もっとごちゃごちゃとした全体、まるごと感じる。
その瞬間、波長と波長がピッタリ重なって、文字通り血が騒ぎ出す。
あえて裏にあるものに目を向けるときもあれば、騒ぎ出した血の赴くままに、からだを委ねるときがあってもいいんじゃないか。
それ以上言葉はいらない世界。
そこにいけるのはほんとに一瞬で、そう何回もないことなのかもしれないけれど。
なにをするにしたって、一回でも多く、その世界にいけるような人生にしたいもんだなあ。