ちいさいものおき

普段考え感じることは、ほとんどが忘れていってしまうものばかり。けれど中には、ちょっととっておきたいものも、やっぱりあります。そこで、「今」の「自分」が考え感じることを置いておけるような、「ものおき」があったらいいなあと考えました。たくさんは入らないものおきに、小物をいくつか並べたり、大物を入れるために整理したり。 ずっと隅っこにあったものに気づいて、久しぶりに眺めたり。 ちいさいからこそ、一個一個を見つめ直して吟味する。 統一感は特にない。そんな感じの「ちいさいものおき」を想像しています。

小骨出すときの顔

口に含んだ魚の小骨を取り出そうとしている人の顔は、たいてい面白い。


骨に全神経を向けているからか、目の焦点がどこに合っているのかわからない。
真剣具合とぼーっとした雰囲気がミスマッチで、ものすごく面白いのだ。
 
そのおかげで、食事の席で全員が魚に向き合うとき、謎の静寂が訪れる。
テレビもつけていなかったもんだから、一気にしんと静まりかえる。
ちょっとした緊張感さえ漂いはじめる。
 
僕は、たとえそれが魚でなかったとしても、食事中はかなり静かになるほうなのだけど、ふと顔を上げてみて思わず吹き出してしまった。
その場の全員が全員(きっと自分も)、どこでもない宙を見上げて口をもぐもぐしていたのだから。
 
無事に小骨が見つかると、口の中はできるだけ隠しながら、器用にするっと出す。
そして再び、魚のほうへと箸をのばす。
時々、思い出したように「うまいなぁ」なんて小声で言いながら、無心でそれを繰り返している。
 
 
そうして目の前の食に向き合っている様子というのは、面白くもありつつ、わずかながら感動的ですらあった。
親しい人に、片手間に食をとる人はあまりいないけれど、それでもなにかに気をとられることなく、舌や唇をフル活用させて骨を探し出そうとしているその瞬間の向き合い方は、なかなかないことのようにも感じられたからだ。
 
よしよし、この時間、嫌いじゃないぞ。
もしかしたら、触感だけでなく、味にも敏感になっていたりするのでは。
 
そんなことを考えているのは、僕だけだろうか。
小骨を取り出すのが面倒という人は、そのときに人がどんな顔をしているか、ぜひ見てみてほしいと思った。