他人事にしておけないこと
他人がやってることなのに、他人事にはどうしても思えないことが時々ある。
この前のテニスの試合は、そのひとつだった。
家族と一緒に応援しはじめたのだけど、すぐにひとりで観なかったことを後悔する。
ポイントごとに一喜一憂する姿も、「ああ!もったいない」という一言も、もはやじっと見入ってるときでさえ、なんだかイライラしてしまう。
ああああ、ひとりで観たい。
なんでそうしなかったんだろう…。
僕がこんなふうな気分になってしまった理由は、いったいなんなのだ。
外向きにも内向きにも、決していい気持ちではなかったはずだし、もう味わうことがなければいいのになとも思う。
けれど、きっとあの感覚を、僕はまたいつか味わうことになる。
そんな気がした。
やっぱり、あれはどうしても他人事には思えなかった。
テニスという種目、すさまじい精神力と体力で試合を続ける選手、これまでの人生の多くの時間を費やした自分の経験、昔の試合の記憶、なんかに打ち込みたいけどそれが見つかってるような、見つかってないようなという現状。
いろんな要因が組み合わさり、そこから生まれる憧れや羨望、悔しさみたいな気持ちが渦巻いて、僕はどんどんプレイヤーの視点へと没入していったのだろう。
その一方で、現実はテレビの前でじっと観ている観客のひとりに過ぎないというギャップが、もどかしかった。
いくら他人事じゃないとはいえ、結局は他人であることを認めざるをえない。
試合が決したその瞬間、一瞬妙に軽い空気がリビングに流れたあとで、その事実はずっしりとからだの内に残った。
いつだったか、どこかで「他人事にしておけないことを仕事に」というような言葉を耳にした(あるいは目にした)。
「好きなこと」とか「得意なこと」じゃなくて、「他人事にしておけないこと」。
なんだかプラスな動機づけじゃないようにも聞こえるけれど、実はこれってものすごく大事なことなのかもしれない。
表面的にどうこうじゃなく、自分の根っことして離したくないこと、切っても切り離せないものと結びついているからこそ、他人事にしてはおけない。
今回のこともそう考えてみると、だんだんワクワクしてきた。
一緒に観てた家族には、ちょっと申し訳なかったけれど、この話をしてみようと思う。
さて、これからどうやって人生に絡んでくるんだろうか。