ちいさいものおき

普段考え感じることは、ほとんどが忘れていってしまうものばかり。けれど中には、ちょっととっておきたいものも、やっぱりあります。そこで、「今」の「自分」が考え感じることを置いておけるような、「ものおき」があったらいいなあと考えました。たくさんは入らないものおきに、小物をいくつか並べたり、大物を入れるために整理したり。 ずっと隅っこにあったものに気づいて、久しぶりに眺めたり。 ちいさいからこそ、一個一個を見つめ直して吟味する。 統一感は特にない。そんな感じの「ちいさいものおき」を想像しています。

早起きの函館

朝早く、ひゅっと身が引き締まるような空気の中に飛び出す。

閉じようとするほうにばかり積極的だったまぶたも、それにつられてしゃきっと目を覚ます。
 
人も車もあまり通らない道を歩く。
そんな状況では、ぽつぽつと見える道ゆく人に親近感を覚える。
早起きした、という共通点だけでも、なんか同志のような。
こういうときだけ、「これからは早起きするぞ!」なんて調子のいいことを思ったりする。
 
市場にたどり着き、人の親切さに触れる。
思わず、はじめに言った予算よりも少し多く買い込んでしまう。
支払うときになって、こちらからいったわけじゃないのに
 
「勉強しても2500円かな」
 
って言ってくれた。
早起きは十文ぐらいの得だと、ここでも調子よく思う。
 
朝ごはんを食べて外に出ると、だんだんと人が増えてきたところだった。
美味しいもので満たされ、またまぶたは閉じようとしはじめるけれど、しゃきっとした人たちの間を歩きはじめれば、だんだんこちらもしゃきっとしてくる。
 
向かい合う店の人たちは、お客さんを呼び込むという意味ではライバルかもしれない。
けれど、互いが互いにしゃきっとした空気を注入しながら、市場(の通り)というひとつの場とその雰囲気をつくりあげる担い手になっている
その意味では仲間とも言えるよなあ。
 
お客さんの活気と相まって、ごちゃごちゃしたエネルギーはさらに高まっていく。
その只中を通り抜けるうちに、足取りもどんどん軽くなっていく気がする。
そんな変化を感じられたのも、早く起きたおかげだ。
 
早起き、よい。