ちいさいものおき

普段考え感じることは、ほとんどが忘れていってしまうものばかり。けれど中には、ちょっととっておきたいものも、やっぱりあります。そこで、「今」の「自分」が考え感じることを置いておけるような、「ものおき」があったらいいなあと考えました。たくさんは入らないものおきに、小物をいくつか並べたり、大物を入れるために整理したり。 ずっと隅っこにあったものに気づいて、久しぶりに眺めたり。 ちいさいからこそ、一個一個を見つめ直して吟味する。 統一感は特にない。そんな感じの「ちいさいものおき」を想像しています。

きっかけとしての痛み

痛みがきっかけになることはある。

普段は見ないようしているかもしれないけれど、世の中いろいろな痛みが散らばってる。

 

痛みに気づけたのなら、それはきっと何かのスタートだ。

ひとしきり眉をしかめて泣き叫んだら、閉じたまぶたをもう一度開いてみる。

最初は我慢して、途中から意地でも、傷口を見つめてみる。

 

いきなり大きな傷に気づいてしまったら、それはそのとき。

小さくても一緒。

自分にとって、それが本気で治したいものだったのなら、治すために全力を尽くせばいい。

自分ひとりでは無理そうだったら、救援を募ればいい。

 

ほとんどの場合、ひとりじゃ難しいのだろうな。