ちいさいものおき

普段考え感じることは、ほとんどが忘れていってしまうものばかり。けれど中には、ちょっととっておきたいものも、やっぱりあります。そこで、「今」の「自分」が考え感じることを置いておけるような、「ものおき」があったらいいなあと考えました。たくさんは入らないものおきに、小物をいくつか並べたり、大物を入れるために整理したり。 ずっと隅っこにあったものに気づいて、久しぶりに眺めたり。 ちいさいからこそ、一個一個を見つめ直して吟味する。 統一感は特にない。そんな感じの「ちいさいものおき」を想像しています。

虫との付き合い方

虫との付き合い方について。

 

今身のまわりにいる虫は、大抵のやつが邪魔者扱いされている。

ハエや蚊、クモやハチなど。

たしかに、こういう虫が近くにいると落ち着いてられないし、怖かったりもする。

 

けれども、僕はできることならそのままにしておいてやりたい。

手でパチンとやるのは、どうも気が引けてしまうのだ。

 

 

僕にとって虫は、昔から怖い存在であり、でも常にどこか興味を惹かれる存在でもあった。

 

原っぱでバッタを追い回す。目を凝らして木にとまるカブトムシを探す。ハチにびびって全力疾走する。

幼虫がうねうねしている様子は、当時からなんだか気持ち悪いなと思いつつも、なぜか愛らしくて、育てたくなる。

夜になって動きが活発になると、狭い虫かごに当たる羽音が響いて、「狭くてごめんな。」と思ったり。

死んでしまったら、涙が出てきたり。

 

とにかく好きだ、というわけでもない。

近いのか遠いのかよくわからない、そんな距離感のまま、今まで育ってきた。

 

 

そしてその感覚は、最初に挙げたような“邪魔者”に対しても、共通して持っている気がする。

 

蚊に刺されたらかゆいし、ハエが耳元で飛んでたらそりゃ鬱陶しいけど。

見た目からグロテスクだったりもするけど。

 

でも実際に何かされたわけでもないのに、目の敵にして潰しにかかるのは、どうなんだろう。

そいつの仲間にやられたから、その報復なのか…?

たくさん湧いて出てくるし、またいつ害を及ぼされるかわからないからやっとく…のか?

痛みとかないのだろうか…?

 

 

いや、もうわからん。

よくわからんが、想像することだけはやめないでおこう。

目の前を何度もちらつかれたら、パチンとやってしまうこともあるし、見て見ぬふりをすることもある。

もしパチンとやるにしても、どこかから湧いてくる後ろめたい気持ちはなくさないようにしよう。

 

虫、かあ…。