ちいさいものおき

普段考え感じることは、ほとんどが忘れていってしまうものばかり。けれど中には、ちょっととっておきたいものも、やっぱりあります。そこで、「今」の「自分」が考え感じることを置いておけるような、「ものおき」があったらいいなあと考えました。たくさんは入らないものおきに、小物をいくつか並べたり、大物を入れるために整理したり。 ずっと隅っこにあったものに気づいて、久しぶりに眺めたり。 ちいさいからこそ、一個一個を見つめ直して吟味する。 統一感は特にない。そんな感じの「ちいさいものおき」を想像しています。

平和な一日のむしゃくしゃ

悔しい。
俺はまだ、土俵にすら立てていない。

何者でもないことをいいことに、いろいろと摸索する時間を、ただ享受している。
それは素晴らしいことであると同時に、残酷でもある。
言外に滲み出る疎外感。

それは自分が勝手に感じることだろう。
自分で決めたことのはずなのに。
笑い飛ばしてしまうには、あまりに深すぎた。

何者かになりたい。
何者かでありたい。
間違ったことは言っていないはずなのに、何者でもないという、ただそれだけの理由で疎外感を感じることがあってはならない。

急ぐのはおかしい。
何者でもないのは悔しい。
悩みを言い訳に、眠り続けるわけにはいかない。

名前はある。
ここに、ぼくはいる。
名もない存在などひとつもない。

わかっている。
けれど、世の中は自分を名もない何かにしようとする。

その圧力に負けるな。
名もない何かなど存在し得ないと、すべての人を納得させるまで、諦めてはならない。
まずは自分が、潰れてはならない。
突き抜けていきたい。

自分が自分がという思想は肌に合わないけれど、たまにはこの想いが力になってもいいだろうよ。