ちいさいものおき

普段考え感じることは、ほとんどが忘れていってしまうものばかり。けれど中には、ちょっととっておきたいものも、やっぱりあります。そこで、「今」の「自分」が考え感じることを置いておけるような、「ものおき」があったらいいなあと考えました。たくさんは入らないものおきに、小物をいくつか並べたり、大物を入れるために整理したり。 ずっと隅っこにあったものに気づいて、久しぶりに眺めたり。 ちいさいからこそ、一個一個を見つめ直して吟味する。 統一感は特にない。そんな感じの「ちいさいものおき」を想像しています。

畳んだ服、放り投げる

手から離れる瞬間にだめだとわかるのに、丁寧に畳んだ服を放り投げてしまうときがある。

あの感覚はなんなのだろう。
 
ただ単に疲れているから、というときもあれば、そうではないときもある。
 
実行するより前には疑いもしなかったことが、少し足を突っ込んだ時点で急に不安になったり、失敗した!と思えたりする。
畳んだ服なら、すぐに畳みなおしに歩いていけばいい。
けれど、もしももっとおおきなことだったら。
想像はしてみるけれど、服を放り投げたときのように、すぐに気づける自信はない。
やはり、やってみなければわからないことってあるのかなあ。
 
なにをするにしても、やりはじめた、あるいはやろうとした瞬間、急にそれまでとは違う視点から今の自分を見ている自分が現れて、「あっ!」とか声を出す。
別に自分のことを脅かしたいわけではないから、ただの反射みたいなものだとは思う。
+の意味もーの意味も込もっていない、ただの反射。
 
そのあとにどう対応していくかが、腕の見せどころである。
やはりこれはおかしい、と立ち止まってしまったり、ふさぎこんでしまったり、反発するよりは、苦笑いを浮かべながら服を畳みなおしにいけるぐらいの状態でありたい。